「猫と少女」

少女が七つの時でした。
雨の音に混じって子猫の必死な泣き声が聞こえてきました。
外に出ると、家から少し離れた工事現場に子猫がいました。
3匹いました。
いなくなった親をさがしているのか、よたよたと歩いています。
ガリガリで、目ヤニで目がふさがって見えないようです。
水たまりに落ちたり、砂山の上に登ってフギャー、フギャー。
できる限りの大きな口を開いて命がけで叫んでいたのです。

助けに行こうとする少女を母親がとめました。
「きたないから行っちゃダメ」
「いやだ。かわいそうだから家で飼ってちょうだい」
「だめだめ。ばいきんがいっぱいついてるでしょ」
「ほおっておいたら死んでしまうわ」
「猫がほしいのなら富田さんちのシロの子をもらってあげるから」
「シロの子はいやなの。あの猫がほしいの」
少女は必死で頼みましたが、聞き入れてはもらえませんでした。
あくる日、3匹の子猫は水たまりの中や砂の上で死んでいました。

少女は大人になりました。
そして頭が良くて優しくちょっとだけイケメンの男と結婚しました。
翌年、娘を産んで、その子が七つになった時。
学校帰りに子猫を1匹拾ってきました。
ガリガリで、目ヤニで目がふさがって見えないようです。
「この子の兄弟は車にひかれてぺしゃんこになっていたの」
「まあ、それはかわいそう」
「だから、おうちで飼ってもいいでしょ」
「お父さんがいいとおっしゃったらね」
夫は飼うことに対して一つだけ条件をつけました。
それは「去勢すること」。
意味がわからない娘に少女は一生懸命説明しました。
捨て猫をふやさないために子どもを産めなくすることだと。
「あんよがなくなるの」
「いいえ」
「お手手がなくなるの」
「いいえ」
「おめめがなくなるの」
「いいえ。今とあまり変らないのよ。麻酔をするから痛くもないし」
「じゃあ、いいわ」
子猫は去勢され、藤ノ輔と名付けられて飼えることになりました。
娘は大喜びで身の回りの世話をし、一緒のベッドで寝ました。

藤ノ輔は藤色の目を持つ、たいそうきれいなキジ猫でした。
燐家のオス猫と仲良くなってドタバタ楽しそうに暮らしていました。
だから、燐家のオス猫が病気で死んだ時は、とても淋しそうでした。
メス猫が何匹も藤ノ輔の元に通ってきましたが彼は無関心でした。

娘が成長し、大学へ通うため、家を出て行きました。
それからまた何年かして娘は婚約者をつれてきました。
頭が良くて優しくて、ちょっとだけイケメンの男でした。
藤ノ輔も年をとり、太って動きが鈍くなっていました。
それでも娘の顔を見ると、とても喜んで膝の上に乗っていきました。

また何年か経って、お産のために娘が家に帰ってきました。
生まれて来る予定のお腹の中の赤ちゃんは男の子なんだそうです。
娘の膝の上に藤ノ輔が乗っていきました。
「藤ノ輔、藤ノ輔。もうお爺ちゃん猫だけど、可愛いね」
娘は藤ノ輔の頭や背中をなぜながら少女とおしゃべりしていました。
いえ、もう少女は少女ではなく、もうすぐお婆ちゃんになるのです。
しばらくして藤ノ輔は大きな息を吐いた後、動かなくなりました。
「あれ、藤ノ輔どうしたの」
藤ノ輔は息をしていませんでした。
藤ノ輔が来てから17年が経っていました。
拾って育ててくれた大好きな娘の膝の上で天寿を全うしたのです。
娘のお腹の中の新しい命の鼓動を聞きながら。

ペット専門の葬儀屋さんで葬式をした帰り道でした。
娘がポツリといいました。
「藤ノ輔の子どもを見てみたかったわね」
「そうね」
「去勢したのは可哀想だった」
「そうね。でも、間違いじゃなかったと思うわ」
少女は子どもの頃に見た子猫の死骸を思い出していました。
「藤ノ輔はあなたに看取られて幸せだったのよ」
今度は娘がそうねと言いました。
それから家に帰るまで、いろんな場所でキジ猫を見かけました。
「あら、またキジ猫。藤ノ輔にそっくり。親戚かもね」
娘の声ははずんでいました。
少女は、どのキジ猫も少女と娘をじっと見ているように感じました。
「生まれてくる男の子の名前、藤ノ輔にしようかな」
「死んだ猫の名前なんてよくないわよ」
「そう?イケメンで運動神経抜群で、最高だったじゃない」
「そうね。最高だったわね。あんな子が生まれてきたらいいのにね」
娘と手をつなぎ、少女は祖母になる喜びを噛み締めるのでした。

                         (おわり)