<登場人物>
恭介:若君暗殺のために差し向けられた17才の女装の
忍者。
若君:将軍の長男。7才の純真な美少年。
可児:恭介の幼なじみの黒装束の忍者。18才。
Nはナレーションで、Mはモノローグ(独白)です。
○ 江戸城・若君の寝所(月明かりの夜)
若君が寝床で泣いている。
恭介(M)「若君を暗殺すること—それが俺の仕事だ」
お女中姿の忍者・恭介が胸に短刀を忍ばせ、寝所に
近づく。
若君「誰?」
恭介「今日、奉公にあがったばかりの女中でございます。
どうやら迷ってしまったようで…」
若君「それなら、ここへきて話し相手をしておくれ」
恭介「はい。よろしければ」
恭介が襖を開けて近づくと、若君が起きてきて恭
介の手を握って邪気のない顔で微笑む。
恭介はひるむ。
恭介「な、なぜ泣いておられたのですか」
若君「余は父上からも母上からも愛されておらぬ。そ
れが悲しゅうて悲しゅうて」
恭介「それは思い過ごしかもしれません」
若君「いや、そうではない。それに、他の者を将軍にし
ようと企む連中が余を殺そうとしているという噂も聞
いた」
恭介「…」
若君「余は生きていてはいけない存在なのだ。うっうっ」
恭介「違います。そんなこと…」
恭介(M)「ああ、俺にはこのようにいじらしい子どもを
殺すことなどできやしない」
若君「余はおまえのことが気に入った。余のそばにずっ
といてくれぬか」
○ 同・恭介の居室(夕方)
(N)「それから数週間後」
恭介が花を生けている部屋へ、若君が興奮した面
持ちで飛び込んで来る。
若君「お恭、お恭。父上から南蛮渡来のお菓子をいただ
いてきたよ」
恭介「あれ、若君、お一人ではないですか。伴の者はど
うされました?」
若君「隠れんぼをすると言ってまいてきたのだ」
恭介「まあ、それはいけませんね。それよりそのような
大切なものはお母上様のところへお持ちしなければ」
若君「いやじゃ、お恭に食べてもらいたくて、余は食べ
たいのを我慢して持ち帰ってきたのだ」
恭介「嬉しゅうございます。では、いただきましょう」
若君「うむ。なんか妙な味じゃの。どうじゃ、お恭」
恭介「はい、ま、おいしゅうございますともなんとも」
複雑な表情の恭介の顔を見て、若君は「わははは」
と大声で笑う。
幸せそうに若君を見る恭介。
恭介(M)「ああ、なんと素晴らしい笑顔であることよ」
障子に不穏な人影。
恭介「む。若君、物の怪の気配がいたします」
若君「なに?物の怪とな。気色の悪い」
恭介「しばし、この部屋をお出になってはいけません。
わかりましたか」
若君「わ、わかった」
○ 同・渡り廊下
恭介が渡り廊下にくると、突如、廊下の下から黒い
陰(可児)が飛び出てきて恭介を羽交い締めにする。
恭介「ぐっ」
可児「なまったな、恭介」
恭介「その声は可児」
可児「なぜ背いた?」
可児を振り払い、バク転して、渡り廊下の欄干の上
に飛び乗って可児を睨む恭介。
○ 回想・忍者の里
忍者の修行で縄を使って木々の間を飛ぶ恭介と可児。
恭介の手がすべって落ちる。
山桜が舞う中、可児が恭介の近くに着地する。
可児「大丈夫か、恭介」
恭介「(倒れたまま)ああ。見ろよ、可児。桜の花吹雪だ」
可児「きれいだな。俺は死ぬときはこのようにきれいな
花に埋もれて死にたい」
恭介「俺も、俺も死ぬなら可児と一緒がよい」
可児「ふふ、所詮、贅沢な夢なのかな。俺達、忍びの者
にとっては」
○ 江戸城・渡り廊下(元の場面)
気配を消した可児が再び恭介の背後から襲いかかり
恭介の上に馬乗りになる。
可児の短剣が恭介の眼前に迫る。
可児「おまえとは兄弟のようにして育った。それなのに」
可児の目から涙が落ちる。
恭介の目からも涙が溢れる。
恭介「すまない、可児。俺は若君を守り抜きたいのだ」
可児の首の後ろにはカンザシが突き刺さっている。
可児の口から一筋の血が流れ、上体がゆっくりとく
ずれ落ちる。
恭介「(起き上がり)可児、可児。俺の大事な仲間。おま
えの望みは叶えてやるよ」
○ 同・恭介の居室
恭介が戻って来る。
若君「お恭、物の怪はどうしたのじゃ?」
恭介「私がやっつけました」
若君「それはでかした。何かほしい褒美があれば言って
おくれ」
恭介「何もありません。若君がご無事であれば私は幸せ
なのです」
若君「それでは余の気がすまぬ。物でなければ何かして
ほしいことはないのか」
恭介「してほしいこと?(しばし考え)それでは、いつ
の日か、私が亡くなりました時に、このお庭の大きな
桜の木の下に埋めて下さい」
若君「桜の木の下に?それは風流だな。わかった。必ず
おまえの望みは叶えてあげるよ」
恭介「ありがとうございます」
恭介の目には涙が光っている。
○ 同・庭
桜の木の下の土中で眠る可児。
その上を桜吹雪が舞っている。
(おわり)